インタビュアー・コラムニスト 髙谷麻夕さん Challenge.1


大学で建築を専攻し、卒業後に就いたのは日本でも有数の窯業メーカー。以降40歳で
独立するまでに、三社の一部上場企業に身を置き、キャリアを
磨き続けてきた高谷麻
夕さん。現在は、女性誌のインタビューライターを
務める傍ら、研修やセミナーの講
師として広く活動している女性経営者の
一人。彼女が、現在の「自分」を構築するま
での道のりと、仕事にかける
思い、そして人生のチャレンジを綴ります。

 

無我夢中で、キャリアを築いた20代、30代

高谷さんの第一印象は、“知的なキャリアウーマン”。

実際の仕事内容や思考力、またそれらを嬉々として語る表情には、意志の強さや頭脳の明晰ぶりが滲みます。

高谷さんのキャリアは、メーカーの営業職から始まり、通信企業、流通企業と、転職を繰り返しながらキャリアを培っていきました。仕事内容は、とりわけ販促マーケティングという専門性に特化したもの。さまざまな企画を実行してきたり、新規事業にも携わったそうです。

「20代、30代は、無我夢中で仕事に取り組み、幅広い知識や技術を身につけました。たくさんの経験を積ませてもらいましたね」

 “仕事をしている自分が大好き”と目を輝かせる高谷さん。髙谷さんをここまでキャリアを積み重ねることに一生懸命だったのには、わけがありました。

 

 

”仕事で人生を創っていこう”と決めたあの日

順風満帆にキャリアを積み重ねていた彼女に、一つの転機ともなる出来事が起こりました。

「尋常じゃないほどの腹痛で、救急車で運ばれました。検査の結果は、子宮筋腫、卵巣嚢腫。ただ・・・癌の可能性を示す腫瘍マーカーが1000を超えていました。

『検査は手術中に行い、そこで癌が見つかった場合には全摘します』と言われました。ショックでしたね」

30歳の冬に起こった大病は、結婚してわずか半年目のことでした。

「幸い癌ではありませんでしたが、医師からは今後妊娠できる可能性は極めて低いと言われてしまいました。私には仕事しかない!仕事でキャリアを高めていこう、そう思いましたね」

 

ほどなくして髙谷さんは、新たな道に進むことにしました。

最初の会社を辞め、大学院に入学し、その2年後にMBAを取得するという行動に出たのです。卒業後、取得したMBAを活かすべく、社会に戻ることに。そして、IT系通信企業に2年半、その後さらなるキャリアアップを目指し、流通業企業に転職をしていきました。

 

「一つの仕事に達成感を得ると、また別の仕事にチャレンジしたくなります。そこで、キャリアアップのために、3社目となる流通企業に挑みました」

 

会社でのキャリア終了!「はじめの一歩」は流されるままに

奇しくもキャリアップとして挑んだ地で、想定外の第二の転機に見舞われることになりました。3年目に新規事業のプロジェクトに異動した時。当時の上司からパワハラを受けてしまったそうです。

「会議の場で、男性上司に喰ってかかっちゃったんですよ。今思えば、浅はかとしか言いようがありませんが(笑)。それを境に、仕事を取り上げられ、窓ぎわへ追いやられる羽目に。

それまで人間関係に悩んだことはなかったから、正直、過酷な試練の時間を過ごしました」

 

それでも、すぐに退職を決意することはできませんでした。

なぜこんな目に合っているのか知りたくて、スピリチュアル系の方に見てもらいました。辞めたその先が描けず、かつての上司や大学院の恩師、そしてたくさんの諸先輩たちにアドバイスをもらいました。その結果、ようやく退職を決心したそうです。

「人間関係でつまずいたことのない私が、今つまずいているのは、次へのチャレンジをしろという合図だと思ったんです。ほんと、ポジティブですよね」

実のところ髙谷さんは、いつか起業したいと思っていたそう。でも考えるほど、会社を退職する勇気がもてずにいたのです。パワハラは辛くイタい出来事ではありましたが、流されるままに退職することができたと捉えていたそうです。

 

                       
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